特別対談:AIと英語教育の未来 【前編】
教育現場でのICT活用(デジタル教科書、電子黒板、タブレットなどのデバイス、教育アプリなど)が定着してきた感のある昨今、「生成AI」という新たな波がやってきました。AIはこれからの教育をどう変えていくのでしょうか。また、AI時代において「英語を学ぶ意義」はどこにあるのでしょうか。今回、ポリグロッツ顧問であり、ICTにも詳しい慶應義塾大学名誉教授田中茂範先生と、ICTを取り入れた授業実践が豊富な明治大学付属中野中学・高等学校の田中周作先生のお二人で、AIと英語教育の未来について語り合いました。
・田中茂範先生(左)プロフィール
慶應義塾大学名誉教授。ポリグロッツ顧問。岡山県出身。コロンビア大学大学院博士課程修了。応用言語学専攻。専門は認知意味論、言語習得。 慶應義塾大学名誉教授。PEN言語教育サービス代表。英語教育の実践に根ざした言語論、 コミュニケーション論を展開。また、国際協力機構(JICA、旧国際協力事業団)において長年、 海外派遣される専門家のための英語研修を担当。 最新の著書に 『コアで攻略する英文法の教科書』(Gakken, 2024)など。
・田中周作先生(右)プロフィール
明治大学付属中野中学・高等学校、英語科教諭。北海道函館市出身。東京学芸大学大学院教育学研究科修了。2014年に東京都教育研究員、2015~ 2016年に東京教師道場助言者として活動。北海道、東京都、三重県、鹿児島県など全国各地で研修講師を務め、授業実践やICT活用について幅広く発表している。剣道五段、合気道三段、スキー1級のスキー部顧問。『英文法短期定着トレーニング Speed Grammar』(文英堂, 2025)『All Set 高校英語入門 Reading & Grammar』(文英堂, 2025)監修。
・進行/構成 水島潮(ポリグロッツ)
教育に「AI時代」がやってきた
ーポリグロッツ
この10年ほどでICT教育(電子黒板、パソコン、タブレット、インターネット)の普及からGIGAスクール構想(小中学生向けの端末1人1台配布)の流れがあり、さらにこの1、2年は「生成AI」が登場して、教育に大きな変化が生まれていますね。
ー田中周作先生(以下「周作」)
そうですね、本当に教育環境の変化を感じています。コロナ禍で拍車がかかって一気にICT活用が広まって、今ほとんどの小・中・高校で1人1台タブレットやパソコンが配られていると思います。生徒の学習スタイルへの影響はもちろんですが、「教員の準備」という部分で助けられてる部分が大きいなと。例えばTeamsやロイロノート、Googleのプラットフォームなどを使って生徒に一斉に連絡ができるとか、プリント配布がPDFでペーパーレスになって印刷の時間が省けるとか。ちょっとしたことなんですど、教員の働き方にすごく影響を与えてると思います。
ー田中茂範先生(以下「茂範」)
英語の授業の歴史を振り返ると、80年代以前は教材は紙、教師から一方向の授業スタイル、暗記中心で実践の機会が少なかった。90年代はCD-ROMやDVDのようないわゆる「マルチメディア教材」が出てきて、95年がインターネット元年。2000年代にオンライン辞書や学習サイトが登場、CALL(コンピューター支援言語学習)などが始まり、2017、18年ぐらいからオンライン英会話や遠隔学習が始まりました。そして今、「生成AI」の時代が来ました。非常にエポックメイキングなことです。AIで語彙や文法の間違いへのリアルタイムフィードバックや、発音や音声関連の処理、通訳や翻訳も全てできるようになってきている。ただしこれらにはプラス面とマイナス面が必ずあると思うんです。実は生成AIを使えるかどうかは、英語力がカギになってきます。英語力のある生徒であれば、生成AIの利点を享受できるけど、そもそも英語ができない生徒にとっては、AIの最大限の活用が難しい。
ー周作
私も全く同じ意見を持ってます。機械翻訳やAIのサポートのプラス面とマイナス面の分岐点は「英語力の違い」にあるのではないかと。例えばライティングの添削をAIにしてもらったときに、 英語力のある生徒は理解できるけれども、英語力がまだちょっと足りてない生徒は詳細なフィードバックは多分見ないし、見てもあまり理解できない。 何か直されたものをポンと返されて、改善点を次に活かせるかっていうとちょっと怪しいですよね。そういう意味でやっぱり学校現場の教員は、AIツールを使う時期を見極めなきゃいけないなと思います。 英語をスタートしたばかりの中学校1年生とか2年生が、何か英語で発表するタスクがあるとして、日本語をGoogle翻訳やChatGPTに入れて作った英語の文は、語彙レベルも違うし、正しい訳にならないし、まず自分でその文を読めないし、「何が言いたいの?」と聞いても「わかりません」となる。これはよくないなと思います。
ー茂範
うん。僕は翻訳っていうのは、英語力を総動員して行う総合的なプロジェクトだと思ってるんです。 それを機械翻訳でやると、答えがポンと出てしまう。AIはアシスタントとして非常に頼りになる一方で、人間が思考する機会を奪ってしまう側面があると思います。
いつ使うか、どう使うか
ーポリグロッツ
Google翻訳やChatGPTをはじめとしたAI系ツールをいつ、どのように使うのが理想的でしょうか。
ー周作
初学者の段階ではそんなに必要はないと思っています。使うにしても、 授業内で一緒に使っていくものじゃなくて、家庭学習のイメージですね。英語力もリテラシーも備えている生徒が家庭学習でうまく使っていくのならいいかなと。ライティング添削なんかは先生も大変なので、そこでかなりAIが味方になってくれそうですよね。プロンプトの入れ方によっては添削だけじゃなくて、より良い英文にするためのフィードバックも返せますし、CEFR B1とかA1とか、生徒のレベルに合わせた英語でフィードバックしてくれるので、使い方を覚えれば、家庭学習ではかなり効果を発揮するんじゃないでしょうか。
ー茂範
自習で使うのはいいですね。生徒の自律性を高めていくことはとても大事なので。理想の使用シーンですが、僕は「ツールはとにかく使ってみる」っていう立場です。最初から「これは駄目だよ」と言って可能性を潰すんじゃなくて、とりあえずやらせてみる。ただ、その時「リフレクション」(振り返り)させることが大事だと思うんですよ。 つまり使ってみて、どういうプラス効果を感じられたとか、自信がついてきたとか、何かちょっとポジティブな言葉が出てくるようになるといいなと思います。リフレクションなき実践っていうのはよくないので。
ー周作
中学でAIを使用している例を聞いたことがあります。ライティングの授業で「CEFRのA1とかA2レベルでフィードバック添削して」「自分が間違ったところに対するアドバイスをして」というプロンプトを生徒にあらかじめ教えてあげるんですね。そして生徒が書いた部分とAIが直してくれた英文を並べてどこに違いがあるかを確認して、最後に生徒が自分でリライトしてみる、というような指導です。フィードバックをもらって「そっか」で終わらせず、最後に書き出してみるというのは学習効果としては高いのかなと思いますね。
ーポリグロッツ
最終的に生徒に何か能動的な行動をさせるというのが大事なのでしょうね。
デジタルかアナログか
ーポリグロッツ
周作先生はICTを授業で活用することが多いですが、アナログとデジタルのバランスについてはどうお考えですか?
ー周作
全部デジタルに振り切るんじゃなくて、アナログの大事な部分っていうのはしっかり残しておくべきだと思っています。「手書き」の効果ってあると思うので、デジタル教材で学習したとしても、単語とか表現とかを最後に書き出すと、しっかり記憶に定着すると思いますね。あと今「AI英会話」のアプリがたくさんありますよね。AI相手だと緊張しないから気兼ねなくできるっていうのはあると思うんですけど、それやっぱちょっと違うなと思っていまして。最終的なゴールが「人」と話すことなのであれば、対面での緊張感の中で何を出すか、pushed output(強制的なアウトプット)みたいなことが起こりますし、人が相手だからこそ伝えたいものがあったり、思いがあるものだと思うので、やっぱり教室の中では先生と生徒の対話や、生徒と生徒の対話を大事にしています。
ー茂範
リアルな会話には途中で割り込みもあれば、頷きもありますよね。AIはまだうなずいてくれません。 それから僕らは「文」で話さないですよね。 言いたいことを言えるように何度も繰り返しながら情報を追加しながら話します。「言い直し」もたくさん起こるし、突然質問を投げかけたりもするし、表情の変化や態度で、感情を込めたりもします。こういうことはAIではできないんです。実際の会話っていうのは、人との「関係性」を作っていくために行われるのであって、AIは関係性を作ってくれないんですよ。 となると、会話の「型」の練習には非常に有効だと思うけど、リアルな会話力がそこで育つかというと、それはまた違ったステージということです。
「緊張しなくていい」という面があるのは確かなので、発話量を増やす、ということに割り切るならいいと思います。
デジタルかアナログか、の話をすると、ノルウェーでは教育の100%デジタル化を推進するということを政策として打ち立てたらしいんですよ。 それにものすごい危機を感じた国立大学の人たちが、小学生・中学生は、アナログが逆に大事、「The pen is mightier than the keyboard」(ペンはキーボードに勝る)という研究を発表しています。
ーポリグロッツ
なるほど。少し揺り戻しが起こっているんですね。
ー茂範
アナログのよさは記憶定着、目の負担が少ない、集中力が維持できる、触覚の体験、空間認識などがあります。それに加えて、大きいのが「長期保存」ですね。紙は数百年保存ができますが、デジタルは媒体が頻繁に変わるので、いつまで保存・アクセスできるかが保証できないというリスクがあります。デジタルとアナログをどうブレンドするのか、ブレンドするときは学習者の年齢とか英語のレベルをどう加味するか、ということを先生が考えなきゃいけない時期にあると思います。
ー周作
実際に使っているICT教材に関して言うと、デジタル教科書の登場はやっぱりすごいなと思っています。単元の導入の部分で、いきなり文字を見せるんじゃなくて音声から入る、というやり方がありますが、デジタル教科書では付属のアニメーションと音声でまず聞いてみよう・見てみよう、というのができます。また、私はリテリングを大事にしているんですが、ちょっとキーワードを写して、生徒はそれをヒントに本文の内容を自分で伝えるっていう活動をしたり、単語のフラッシュカードも昔は画用紙に書いてましたけど(笑)、それが今はデジタル教科書のスライドでできます。日本語←→英語の表示番は自由に変えられますし、それに音声も付く。電子黒板で画面に表示させるので、先生の板書時間が削減されますし、手持ちの教材を持ち替える「あたふた」感がなくなります。生徒もデジタル教科書を使ったこういった活動を気に入ってくれてます。ちなみに生徒には紙の教科書のみを使わせて、そこに直接書きこみなどをさせています。デジタルはあくまでも教室に投影して授業進行のために使うイメージです。
あと意外と大きいのがその単元の「関連資料」の動画がついていたりすることです。いままで何か「いいネタ」がないかとネットを探したりしていましたが、そういう準備が不要になるので、忙しい先生の味方になっていると思います。
ー茂範
教科書というのは、世界に繋がる窓です。社会的・歴史的な状況を理解しないまま、いきなり本文を読んでも、全然リアリティがない。だからcontext settingといって、まずそのユニットで扱うことの文脈(コンテクスト)を理解した上で本文に入ると、外の世界と教科書が繋がってくるんですよ。
ー周作
そうですね。こういった活動を構成するには指導力・授業設計力が必要です。教科書に入る前に、トピックに関して質疑応答をして、ちょっと興味関心付けして、それから本題に・・・っていう、いわゆる「スキーマの活性化」を生徒の中で生み出すことはデジタルにせよアナログにせよ、欠かせないことです。
ー茂範
そこはすごく重要ですね。やはり先生側が学習理論的にどうするのがいいかがわかっていないとICT教材の機能が増えれば増えるほど、めちゃくちゃになっちゃいますからね。
(後編へ続く)
